住いの話  −その11−
頼りがいのある鉄工所のオヤジ、吉岡愛一郎さんの登場です

国道202号線沿い、福岡市と糸島市の境近くにある吉岡製作所。前にいつも白いトラックが停まっており、開け放しの入り口からは、工場内で今日も溶接の火花が散っています。奥にある自宅との間には、10人ほどは集まれそうな広いテーブルとイス。地元のオアシスみたいな感じです。(インタビュアー/原久雄)


Q1.
いやぁ、このテーブルのある場所は寛げますね。昔からここにお住まいですか?

いや、前原だけど北新地で生まれて、ここの前は近くの今の幸田タタミ店のところに住んでたんです。その時にここで親父が、吉岡タイヤ商会というタイヤのパンク修理を始めました。で、パンク修理する中で、一輪車とか持ってくるやないですか。その時にちょっとここが外れとうけん溶接してくれんかといわれて。それこそ昔はアセチレンボンベでなく、カーバイトに水を加えて発生したガスでやってたわけ。それから、ガスボンベを入れて始めたけど、糸島では、ガスボンベを入れたのは相当古く、何番目かだったです。
その後、ぼくが小学校に上がる前かいな、ガス溶接だけでは限度があるからと、電気溶接も始めたのは。

ウチの親父は中々のアイデアマンで、一輪車の舟を自分で叩いて作ったり、頼まれたモノだけでなく、自分で色々なモノを作っては売ったりしてましたね。中でも豚舎の給餌機(餌がすこしづつ自動的に落ちてくるもの)なんかは、かなり作ってた。今じゃ外注を使えばなんでも出来るが、親父はそんなのは嫌いで、何でも自分で作ってた。(笑)


Q2.
じゃ、吉岡さんは学校卒業してから、鉄工所を手伝って、そのまま鉄工所の仕事始めたわけ?

ぼくはもう小学校6年の時には、溶接してお金を貰ってました。で、中学校の頃に福岡県の溶接コンクールというのに出た事もある。それこそ造船所のプロとか、鉄工所の職人とか一般の大人に混じって、出場した中、50人ほどで中程の成績やったやろか。みんなに、どこの職業訓練所かから来たとね、とか言われて。(笑)

すごいすねぇ。みんなびっくりしたんじゃない?

ま、電気溶接で色々作ったりしてたからね。中学校1年と3年の夏休みには、バギーを作ったし。空冷のエンジンを使って、タイヤとか本体は軽トラを解体して組み立てて作ったけど、中学3年の時に作ったのは、新聞に取り上げられて、TVにも出たことがあります(笑)。その時、工業高校からオファーが来たりしたねぇ。今のその新聞があるから、持って来ましょうか。

Q3.
うわ、すごいね。デカデカと載ってるやない。
フクニチ新聞のいつ頃のだろうか?吉岡さんは何年生まれですか?
昭和30年生まれなら、これは42年前ですね。この時、もう一人前の溶接工なんだねえ。

だから、中学校の頃にはもう絶対鉄工所の跡ば継ぐもんと思ってた。親父は結構新しいモノ好きで旋盤とかいろいろ設備を買ってやり初めてましたね。
ところがぼくが19歳、定時制高校やったから4年生の時に急死したんですよ。
その時、まだ妹も弟も居ったから、兄弟をなんとか学校にやってやらなならんし、と。妹も定時制高校にいきながら、昼間設計事務所で事務員したりして働いてました。

仕事を今のようなカタチに持っていったきっかけというのは、ある時建設会社からアパートのベランダと階段を作ってくれんか?という注文が入って。「うわっ、どげんするとかいな?」と、あちこち見に行ったりして見よう見まねでなんとかこなしてからですね。その後、そんなアパートの仕事も随分したなあ。それから、少しづつ設備投資もして、仕事の幅を広げていきました。それからなんとか今まで、人並みに仕事を続けてきた‥というところです。
親父が死んでから一番大変やったのは、19歳の時に盆と正月の集金。それがえらかったー。いろんなお客さんがいるから、値切られたり、代金を取り立てるのがね。(笑)
自分で始めた時は、図面を描く場所もなくてね、よそに借りにいったりしてたし。今はもうCADがあるから、図面を描くのは随分楽になったけどね。


Q4.
仕事で扱ってるのは、鉄ばっかりですか?それに内容というのは、住宅ばかりじゃないですよね。

ま、メインは鉄ですけど、アルミ、ステン、なんでもやります。今はいろいろ外注先もあるから、自分で何でもするより、外注をうまく使った方が安く上がったりするしね。
仕事は住宅だけでなく、それこそ牛舎の修理から、ダンプのボディーも作ったりするし、鉄に関する仕事はよほど大物でない限り何でもやります。市内の大きな工場の仕事した時は、うちみたいに小さな町工場のような所が、こんな大きな仕事していいとかいな?と思いながら(笑)。一度、大手の仕事をしたら、そこの役員さんから仕事の評価を得て、直で仕事してくれんか?という話もあったが、それは丁重に断りましたね。回してくれた会社を裏切るわけにはいかんし、ぼくらの仕事はやはり信用が一番やからね。

Q5.
大本さんとは長いんですか?仕事はどう、やりやすですか?(笑)。

最初知り合ったのは、大本さんが会社を起こして、産の宮に居られるときかいな。仕事し始めたのはその後からだけど。大本さんとこは、設計事務所の仕事をしてあるから、こだわりがあるものもあって、よか勉強になるね。そんな工務店はあまりないし。図面はCADで描いてるけど、設計士に送る施工図なんかは尚更きっちり描いたりするね(笑)。それから、大本さんから電話があたりしたときには、ぼくは即答するわけですよ。すると大本さんからもすぐ返ってきたりして、そんな、知ったかぶりでない現実での話がちゃんと出来るのがいいですね。
CADを覚えたのも、ほとんど独学なんですよ。どうしてもわからない時は、知人にメールで送って「これどげんするとや?」と聞いたりして(笑)。でも、CADのおかげで随分図面は楽になったなぁ。娘婿が積水ハイムに勤めているけど、CADの図の描き方で、こっちの描き方のほうがいいやろが、とか話したりして(笑)。


Q6.
ところで、奥さんも鉄工所の仕事手伝ったりされるんですか?

母ちゃんも溶接出来るので、一回住宅の現場の本溶接を全部まかせて、仕事したこともありました。

女性の溶接工って少ないんじゃない?
免許の試験の時には、400人の中に女は一人しかいなかった。そのときは肝っ玉の太い母ちゃんもドキドキしたらしいけど。実技は一発で通ったね。(学科は一度落ちたけど・笑)。ま、実技はぼくが見てから、これなら大丈夫と思ってたけど。

Q7.
溶接の免許って、色々種類があるんですか?

溶接は厚みによっていろいろ段階があるんです。3t、6t、9tとかいう具合に、厚いほど何層も溶接しなきゃならないから難しくなるし、それから水平、垂直、上向き、という具合にいろいろな場所によってもあるわけ。溶接は、必ず伸びて縮むから、歪まないように溶接の順番を考えなきゃならないし。

仕事はいつも忙しそうですね。
う〜ん、営業とかしないんだけどね、何かしらあるね、有り難いことに。それに、ぼくは個人のお客さん等の顧客が多いんですよ。「ちょっとコレしちゃんない」と言う感じで。他で出来ないとか、難しい仕事になると、尚のことやってやろうと(笑)。旅行なんかで、よそに行った時なども、変わった鉄工の仕事があると、しげしげとみるしね、もう観光もしないで。メッキ工場などに行ったときなどは、よその仕事がいろいろとあるやないですか、そんなのは興味があるねー。


Q8.
若い時から仕事で自立してたんですね。で、ご家族は何人ですか?

学生時代は帰宅部(笑)でね、帰ってすぐ仕事せなならんしね。
子供は、娘ばかり3人で、孫も3人います。来月結婚する下の子の孫も生まれるので(又女の子・笑)4人目ができるね。親父は早う亡くなったけど、ばあちゃんはまだ元気だし。


Q9.
ここ沢山水槽があるけど、何か飼ってんですか?あ、メダカですね。
ここ数年のことなんだけど、メダカを増やして、独居老人のお宅とかに配るわけ。一人でお住まいのお年寄りなど、メダカの世話などすることで、日々の仕事が増えて喜ばれるし。こんどの休みは、地元の中学生を預かるんですよ。地域の勉強で。その時の活動の一環として、このメダカの配布とかさせるわけ。去年もやったら、新聞にも大きく取り上げられましたね。今、ここの区長もしてるから。

え、区長してあるなら、そりゃ忙しいでしょう。仕事以外でも

Q10.
ま。でも、世の為人の為で、ぼちぼちやってますよ(笑)。区長なんも、みんなに言われて始めたけど、今2期目で、3年目です。なかなか面白いですよ。

どのくらいの戸数があるんですか?マンションとかも多いから、いろんな人が居るんじゃないですか?

ここは高田西区でね。区は900戸以上あるね。でも、以外と出事にも出てくれます。お宮の行事とかも。それに、今は、ここを含む波多江地区の区長会の会長もしてるし。で、ぼくが区長として自慢できるのは、市からの配布文書など配るときに別に、毎月一回区長だよりというもの作って配ってることです。自分でパソコンを使って作り、プリントしてね。
うわ、写真を載せて、カラー印刷で、こんな立派のを?すごいねー。
波多江公民館で検索されると、HPで全部この区長便りもみれるから。(笑)

なんだか、吉岡さんの風貌からは、パソコンという感じじゃないんだけど、CADやメールしたり、ネットで買い物したり。吉岡さんのイメージが随分変わりました。(笑)
酒は飲まれるんでしょう?奥さんも強そうな感じだしね。

ぼくは焼酎だけど、かあちゃんは日本酒で。強いねー。飲みにいったりして、いろんな銘柄の酒があると、端から全部飲んでしまうから。(笑)

母ちゃん共々、生き生きとした表情の吉岡さん。
そんなわけで、今回は吉岡さんに、いろいろと語ってもらいました。波瀾万丈の人生?で話が面白いので長くなりましたが。区の仕事などもしてあるのも、それだけ頼りがいがある人柄だからでしょう。
忙しい中、ありがとうございました。

2013年・9月 文責・原